2019年3月21日、東京ドームで行われたシアトル・マリナーズVSオークランド・アスレチックス戦を最後に、野球界のレジェンド「イチロー」が、現役を引退しました。
試合後に開かれた会見は、深夜12時という遅い時間からのスタート。
それにも関わらず会場は、各新聞社やテレビ局、日本のみならず海外メディアも集まり超満員。
イチロー選手は、
「こんないんの?!びっくりするわ~」
と、驚いていました。
日本のプロ野球、そしてメジャーリーグにおいても前人未到の数々の記録を打ち立ててきたイチロー選手。
会見でその英雄から語られた言葉はあまりにも重く、格好良く、もりっちの胸に深く深く刻み込まれたのでした。
この記事では、引退会見でイチロー選手から語られた「心に残る言葉の数々」をご紹介していきます。
- 後悔など、あろうはずがない
- あくまでも秤は自分の中にある
- 言葉にすることが目標に近づく1つの方法
- 「やりたい」と思ったらやれば良い
- 孤独を感じたことは、未来の自分の支えになる
- 記憶に新しいWBCでの韓国戦勝利
後悔など、あろうはずがない
会見の最初の質問は、「引退を決めたことに、後悔や思い残したことはないか?」というものでした。
28年間という長い年月を「プロ野球選手」として過ごしてきたイチロー選手。
常に上を上を目指してきたイチロー選手だからこそ「もう少し〜したかった」「あの時〜しておけば良かった」など思うことが1つや2つくらいあってもおかしくないはず。
そんな風に思いながら会見を眺めていました。
しかし、イチロー選手の答えは
「後悔など、あろうはずがない」
というものでした。
今日の観客を見て、後悔などできるはずがないと。
イチローの生きざまを愛したファンたち
アスレチックスとの1戦は延長戦にまでもつれ込み、試合が終了したのは23時すぎ。
祝日(木曜日)であるこの日、明日は仕事の人も多いはずです。
しかし、全選手がグランドから立ち去った後も、球場のファンたちは座席から立ち上がろうとはしません。
この日は4打席ノーヒットと、残念ながら結果を残すことはできなかったイチロー選手。
それだけでなく、去年5月から1度も試合に出る機会を与えられることがなかったんです。
でも、そんなことは関係ない。
イチロー選手の生きざまを愛したファンたちは、感謝の気持ち・拍手を送ろうと、再びグランドに現れる保証もない中、みんなで英雄の姿を待ち続けたのです。
そして待つこと20分。
球場が一気に湧き上がり、この日1番の大きな拍手と熱気に包まれました。
視線の先には、英雄の姿が!
そして「お疲れ様でした!」「ありがとう!」という敬意を表した多くの声が、イチロー選手の元に届きます。
イチロー選手はこのファンたちの姿を見て、「後悔など、あろうはずがない」と答えたのです。
そしてその後、「人より頑張ってなんかいないが、結果を残すために自分なりに重ねてきた、頑張ってきたとははっきり言える。自分なりの頑張りを重ねることでしか、後悔を生まないことはできない」と語ったのです。
イチロー選手は、「努力の人」として有名です。
時には他の選手が寝ている深夜2時頃までバッティング練習やトレーニングをすることもあったのだとか。
客観的に見れば、「イチローはどこの誰よりも努力したから様々な偉業を成し遂げた」と思ってしまいがちですが、イチロー選手は常に「自分自身」と戦い、努力し続けてきたのですね。
あくまでも秤は自分の中にある
その後、「イチロー選手のことを”日本の誇り”と思っている人が多いと思うが、イチロー選手の生きざまで『ファンに伝えられたこと』『伝わっていたら嬉しいな』と思うことは?」という質問がありました。
これに対しイチロー選手は、
「あくまでも秤は自分の中にある。自分なりに秤を使いながら自分の限界を見ながら、ちょっと超えていく。それを繰り返していく。するといつの日か『こんな自分になってるんだ』という状態になっていく。少しずつの積み重ねでしか、自分を超えていけない。」
こう答えたのです。
さらに、「一気に高みを超えていこうとすると、今の自分とGAPがありすぎて続かない。時には後退しかしない時期もあるが、自分が"やる"と決めたことを信じてやっていく。それが正解ではなく間違っていることもあるが、遠回りすることでしか本当の自分に出会えない。」
「ゲーム後のファンを見て、そこを見てくれていたのだと感じ嬉しかった。」
と語りました。
常に自分と向き合い、自分に甘んじることなく毎日の努力を積み重ねる。
そして積み重なった”とてつもない大きさの努力の結晶”が、イチロー選手を誰もたどり着けないようなステージにたどり着かせたのでしょう。
自分のこれまでを振り返ってみた
イチロー選手の会見を見て、もりっちは今までの人生を振り返ってみました。
この時真っ先に思い浮かんできたのが、もりっちが社会人になってからの7年間もっとも熱量を注いできたテニスへの取り組み方でした。
市区民大会出場から始まり、そこでコンスタントに優勝できるようになってからは、実業団でもプレーすることになり。
趣味としてではなく競技としてテニスに取り組んできたのです。
そんなテニス生活を振り返ってみると、「自分の中の秤」よりも、「人と比較する秤」を使っていたことがほとんどだったように思います。
「相手よりも努力したはずなのに勝てなかった…」といった具合ですね。
しかし、こんな風に思った試合は、結果はどうあれなんだかスッキリしない。勝ったとしても、なぜだか特に達成感は得られない。
そんな感覚でした。
逆に、「自分なりに努力を重ねてきた」と胸を張って言える時には、勝てなくても「後悔」することはありませんでした。
「自分ができることは全てやってきた。それでも勝てなかったのだから仕方ない。」と、不思議とあっさり敗戦を受け入れることができたのです。
結果は出なくても、ある種の達成感を味わえたことすらありました。
もしかすると努力の方向性が間違っていることもあったのかもしれませんが、人として成長できるタイミングはきっと、「自分なりの頑張りを積み重ねてきた時」なんだろうな。
イチロー選手の会見を見て改めて、こんな風に感じましたね。
我が家には、10月に待望の第1子(べびっち)が誕生します。
「本人なりの頑張りや変化を認めてあげられる」
そんな親になりたいものです。
言葉にすることが目標に近づく1つの方法
イチロー選手は「最低50歳まで現役」と語ってきました。
結果的に45歳で引退となってしまったわけですが、イチロー選手はこんな風に語りました。
「有限不実行の男になってしまったが、その宣言をしてこなければここまでやれなかった」と。
イチロー選手はこれまで、誰も真似できないような数々の記録を打ち立ててきましたよね。
- 日本人初 シーズン200本安打
- 日本人初 野手でのメジャーリーグ挑戦
メジャーに挑戦してからは、
- メジャー初 10年連続シーズン200本安打
- 日米通算4036本安打(メジャーでは3089本)
思い返すとイチロー選手は、10年連続200本安打も、メジャーで3000本を超えることも、目標として言葉にしていたんですよね。
そして、言葉どおり誰も成し遂げることができないような数々の偉大な記録を樹立してきたのです。
目標を言葉にするのは勇気がいる
「目標を言葉にする」
これは、そう簡単なことではないと感じています。
もりっちは2年前、テニスのとある大会で優勝することを目標にして、テニス人生において最も努力した1年間を送りました。
区市町村大会の優勝者が集まり、真のNo.1を決める大会です。
「この大会で絶対に優勝したい」と強く思い努力もしてきましたが、大々的にその目標を口にすることはできませんでした。
「『お前には無理だろ』と思われたらどうしよう…」
「目標達成できなかったら格好悪い…」
そんな風に思ってしまっていたんですよね。
しかし、「言葉にすることが目標に近づく1つの方法」というイチロー選手の言葉は、非常に理にかなっていました。
人には、一貫性の原理というものがあります。
自身の行動・発言・態度・信念などに対し、それを貫き通したいと思う心理が人間には備わっているんですって。
確かに、目標を言葉にすることで「言ってしまったからには絶対に達成したい」という熱量が生まれます。
これからもりっちは、自分の目標は積極的に言葉として表現し、それをエネルギーに変えていきたいと思っています。
「やりたい」と思ったらやれば良い
記者からの「数々の成功を成し遂げたが、野球人生で何を得たか?」という質問に対し、イチロー選手はまず「僕は成功という言葉が嫌いだ」と返しました。
「どこからが『成功』なのか分からない」と。
「人は何かに挑戦するとき『成功すると思うからやってみたい』『できると思うからやってみたい』と考えがちだが、それでは後悔を生む。『やりたい』と思ったらやれば良い。そうすれば後悔はしない。」
またイチロー選手は、野球人生で「貫いたもの・貫けたものは?」と聞かれた時に、「野球のことを愛したこと」だと即答しました。
さらに「明日もトレーニングはしている」、引退後は「草野球を本気でやる」とも語りました。
これらの言葉を聞き、イチロー選手は野球を心から愛し「やりたいからやっていた」のだと感じましたね。
イチロー選手はプロになり、最初にオリックスで1軍と2軍を行ったり来たりして初めてレギュラーになった年までは「楽しかった」そう。
しかし、その後は力以上の評価をされてしまい、「苦しかった」「純粋に『楽しい』ではなかった」と語ったのです。
プロになるまでは「プロになりたい」と思っていたのに、プロになってからは「将来楽しい野球をやりたいな」と皮肉にも思ったのだとか。
しかし結果的に、28年間プロ野球選手として走り続けたイチロー選手。
イチロー選手の長きにわたる野球人生、絶え間ない努力を”何が”支えてきたのかと言うと、
「野球が好きだ」
この純粋な気持ちだったのだと思います。
イチロー選手は子どもたちへのメッセージとして「熱中できるものを早く見つけて」という言葉を残しました。
「好きこそものの上手なれ」ということわざがありますが、まさにその通りなのかもしれません。
もりっちは、べびっちが
「好きなことに真剣に取り組む」
そんな人間になってほしいなと感じましたね。
孤独を感じたことは、未来の自分の支えになる
深夜12時に始まり、1時間30分にも渡って行われた記者会見。
最後の質問は「マリナーズ時代『孤独を感じている』と言っていたが、孤独感をずっと感じてきたか?」というものでした。
これに対しイチロー選手は「現在それは全くない」と答えました。
イチロー選手は今でこそ世界に認められ尊敬される野球選手となりましたが、メジャーに渡ってまもなくの結果を残せなかった頃は、ファンからの扱いはかなり厳しいものだったんだそう。
「帰れ!!」という罵声を浴びせられることも多々あったのだとか。
しかし、その孤独に負けず、努力を続けてきた。
そして、結果を出した。
すると、手のひらを返したかのように、ファンみんなが認めてくれたんだそうです。
イチロー選手は、過去に感じていた「孤独」について、以下のように語りました。
「アメリカに来て外国人になったことで、人の心をおもんばかったり人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れた。孤独を感じたことも、その体験は未来の自分を支えることになると今は思う。」
「辛いこと・しんどいことから逃げたいと思うのは当然のことだが、エネルギーのある元気な時にそれに立ち向かって行くことは、人として重要なことだと感じている。」
辛いことがあると、誰だって逃げたくなったり諦めたくなったりしますよね。
しかし、その苦しみを乗り越えることで人としての器が大きくなり、それまで見ることができなかった新たな景色に出会えるのでしょう。
そして、苦しみを経験することで、人の痛みが分かるようになる。
もりっちはイチロー選手の生きざまから、たくさんのことを学びました。
- 自分が誇れるだけの頑張りを自分なり続けることの大切さ
- 叶えたい目標は言葉にすること
- 「やりたい」気持ちを大切にして行動すること
- 壁にぶつかった時もその先にある未来を信じて乗り越えること
今年、家族が1人増え、節目となる30歳を迎えることとなるもりっち。
イチロー選手が残した言葉の数々を胸に刻み、悔いのない人生を送っていきたいと感じています。
記憶に新しいWBCでの韓国戦勝利
最後に、もりっちが最も印象に残っているイチロー選手の勇姿を書きたいと思います。
それは、2009年に行われた「第2回WBC(ワールドベースボールクラシック)」での姿でした。
この大会で、予選で韓国に2回も敗戦した侍ジャパン。
2度目の敗戦後のインタビューで、普段は感情をそう表には出さないイチロー選手が「僕の野球人生で最も屈辱的な日」と声を荒げていた姿が非常に印象的でした。
そして迎えた決勝。この大会3度目の韓国との対戦です。
9回を終えた時点で3対3の同点。
試合は延長戦にもつれ込みました。
そして、10回表日本の攻撃。ツーアウト、ランナー1,3塁。
バッターは、イチロー。
実はこの大会、イチロー選手は絶不調中の絶不調。いつもの快音が聞かれることがほとんどない、とても苦しい状況でした。
しかし、日本中のみんなが
「イチローならやってくれる」
そう信じていました。
すると…
カキーーン!!!
快音とともに、弾丸ライナーが鮮やかにセンターに抜けていったのです。
テレビで見ていたもりっちは全身に鳥肌が立ち、あまりの感動で涙を流してしまいました。。。
結局これが決勝2点タイムリーとなり、5-3で韓国戦に勝利。
侍ジャパンは悲願の「世界一」の称号を勝ち取ったのでした。
優勝後のビールかけで、それまで見せたことがないような無邪気な笑顔ではしゃぐイチロー選手の瞳は、まるで少年のようにキラキラ光っていましたね。
どんなに苦しい状況下でも、自分を信じ、努力し続け、孤独に打ち勝ってきたイチロー選手。
その生きざまは、子どもから高齢者まですべての日本国民に感動を、そして勇気を与えてくれました。
イチロー選手は、まさに"日本の誇り"です。
敬意を表して…
イチロー選手、本当にお疲れ様でした。